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History

レコフの歴史

1987年の創業以来、日本経済の移り変わりとともにレコフがどのように歩んできたのかご紹介いたします。

History

1973
創業者吉田がM&Aビジネスと出会う

創業者吉田がM&Aと出会ったのは1973年。山一證券に勤務していた吉田が、米国投資銀行の中国系米国人から「米国企業売却案件リスト」を見せられた。吉田は「会社を売る」という言葉を耳にし、ショックを受けた。吉田は「これは面白い」と直感的に感じ、会社の幹部に掛け合ってM&A専業部隊を本店内に設置した。翌年、神奈川県のスーパーマーケットの事業譲渡案件が成約した。成功報酬の手数料表も我が国には前例がなく、リーマン・ブラザーズが米国で使っていた手数料表を和訳し、円換算して作成した。

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1987
吉田は山一證券の役員を退任し、
レコフを創業する

吉田は山一證券の役員を退任し、1987年、千代田区麹町に日本で初めてのM&A専業ファームRECOFを創業した。1988年12月20日には、米国の経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルが1面のトップ記事でレコフの事業開始を伝え、英国のフィナンシャル・タイムズもそれに追随する。米国の有力投資銀行からは資本提携の提案が持ち込まれ、調印直前までに至るが、先方の交渉責任者フランク・ザーブ氏(後にナスダック会長兼CEO)が突然同業のCEOへ転身することになり、レコフは、独立・中立の道を歩むことを決断した。

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1997
金融ビッグバンを契機として、
M&A市場とレコフのビジネスが
急拡大を始める

1996年11月、第2次橋本内閣が金融改革をスタートし、フリー(市場原理が機能する自由な市場)、フェアー(透明で公正な市場)、グローバル(国際的で時代を先取りする市場)の3つの原則を掲げた。それを契機としてM&A市場は急拡大を始めた。レコフは、金融機関の破たん・統合に関連する案件やIT・電機・食品・家電量販店・コンビニの業界再編等、我が国を代表する案件に、数多くの助言を行った。

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2007
リーマンショックで市場は大幅縮小するが、日本のM&Aは
「IN-OUTの時代」を迎える

2006年をピークに2011年まで、M&A件数は約40%減少する。そんな中、日本企業は、新興国を含めたグローバル市場に成長機会を求める傾向が明確になっていった。レコフも顧客ニーズに応えるため、ベトナムをはじめとするアセアン諸国とのクロスボーダー案件開発を本格化させた。レコフは日本とアセアン諸国との案件の積み重ね、2015年には、ベトナム計画投資省主催「ベトナムM&Aフォーラム2015」において、「M&Aアドバイザリーファーム・オブ・ザ・イヤー2014-2015」を受賞した。

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2016
M&Aキャピタルパートナーズと 経営統合し、新たな歩みを始める

2016年10月、レコフの創業オーナーの吉田は、東証1部上場のM&Aキャピタルパートナーズ(MACP)へ株式を譲渡し、事業承継を行った。今日の市場においてM&Aの目的は「成長戦略の実現」「グローバル化」「業界再編」「事業承継」「グループ再編」等、多岐にわたっている。レコフは、日本のM&Aの歴史と共に歩み続け、創業以来30年間積み上げた経験を活かし、顧客が実現したいことを、M&A案件の創出と助言を通じてサポートしつづけている。

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M&Aの先駆者
レコフ創業者の思い

M&Aとの出会い

私がM&Aと出会ったのは1973年のことです。米国投資銀行の中国系米国人から、偶然、米国企業の「売却案件リスト」を見せられました。会社を売る、という言葉を初めて耳にし、ショックを受けたし、興奮もしました。私は当時、山一證券本店の課長代理でしたが、これは面白いと直感的に感じて、会社の幹部に掛け合い、M&A専業部隊として5名の課を本店内に設置してもらいました。

翌年の1974年、神奈川県のスーパーマーケットの事業譲渡案件が成約しました。売り手がコミーマート、買い手が大丸ピーコックです。この案件が、仲介者が売り手と買い手の双方に提案し、ビジネスとして成功報酬をいただいた初めての案件です。成功報酬の手数料表も我が国には前例がなかったので、リーマン・ブラザーズが米国で使っていた手数料表を和訳し、円換算して作成しました。

このころ米国では、モルガン・スタンレー、リーマン・ブラザーズといった投資銀行がM&Aをビジネスとして手掛け始めていました。まだ、米国でもM&Aという言葉はなく、こうした案件を「acquisition(アクイジション)」の頭文字をとって「AQ」と呼んでいた、当時はそんな時代でした。

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創業者 吉田 允昭

レコフの創業

流通、化学、電機、クロスボーダー等数多くの案件を経験した後、私は山一證券を退社し、1987年12月にレコフを創業しました。社名は、顧客のために徹底的なリサーチをしてサービスを提供しようと考えたのでリサーチの「RE」と、これからM&Aとは密接な関係を持つ領域となるコーポレートファイナンスの「COF」をとってRECOFと名付けました。洋風な社名ですが、私が目指したものは、日本の風土に根付いたM&Aを行っていくことです。それまでの経験を通じて、日本的なM&Aの核心は「心と創造にある」という強い思いがありました。それぞれの企業文化を尊重しながら創造的な提案を行い、企業のトップの想いを繋いでいく、そういった日本的なM&Aサービスを提供する会社にしたいとレコフを創業しました。

レコフの創業イメージ画像

この墨文字は創業時に作ったレコフのシンボルマークです。

  • M&Aは、新しい価値の創造という頂きにむけ、一歩一歩積み重ねることでしかたどり着けない、強靭な精神力を要する仕事であること
  • その頂きが、顧客企業にとって最良の頂きであること
  • 多くの日本企業が大切にしている自社の歴史や企業文化を十分に尊重すること

そんな思いが込められたものです。

レコフのシンボルマーク

変わらないこと

レコフ創業時は、日本のM&A件数も年間400件程度で、他にM&A助言を専門に行う会社もなく、2~3名で業を営む個人商店とするか、数十名まで増員して「企業化」していくのか、迷いました。後者は挑戦的で楽な道ではありません。ただ、M&Aの案件は一つ一つがすべて異なり常に斬新で、顧客企業に最高の価値を提供できる仕事で、多くの若い人たちに携わってほしいと思いました。今も、その考えは変わりません。M&Aに携わる人たちは、企業の呻吟(しんぎん)の声をきき、M&Aという手法を駆使して悩みに答え、日本経済の主役である企業の成長と変革を、影ながら支える存在であり続けてほしいと願っています。

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